「頑張ること」と「好きでいること」
- ゴブルジム・スタッフ

- 2月13日
- 読了時間: 2分
まず最初にお伝えしたいのは、
プロの世界に身を置く方々には、この話は当てはまりません。
生計をかけ、人生をかけ、厳しい競争の中で努力を重ねている方々にとって、
「頑張る」ことは責任であり覚悟です。
その重みは、趣味とは次元が違います。そこには敬意しかありません。
ここで考えたいのは、あくまで趣味として何かを始めた場合の話です。
私たちはよく「頑張ることは良いことだ」と言います。
確かに努力は人を成長させ、自信を与えてくれます。
しかし長く続けていると、努力は単なる行為ではなく、「自分の一部」になります。
• これだけやってきた
• これだけ積み上げてきた
その事実は誇りであり、同時に自分を支える柱になります。
けれど、その柱が「自分の価値そのもの」になると、
新しく入ってくる人や、楽しそうに始める人の存在が、無意識に心をざわつかせることがあります。
それは悪意ではありません。真剣に向き合ってきた証です。
ただ構造として、努力がアイデンティティ化すると、人はそれを守ろうとする。
そこから排他性が生まれることがあります。
趣味の世界であれば、もう一つの軸があってもいいのではないかと思います。
それは「好きでいる」という姿勢です。
好きは、証明を必要としません。
好きは、他人と比較しなくても成立します。
好きが土台にある努力は、他者の存在によって揺らぎにくい。
頑張ることは尊い。
でも、趣味であるならば、頑張ること以上に「好きでいられること」の方が、
長く、穏やかに続くのではないでしょうか。
努力を否定するのではなく、努力を少しだけ軽くする。
その余白が、人にも自分にも優しさを生むのかもしれません。
このジムでは、頑張ることも尊びながら、好きでいられる余白を忘れずにいたいと思います。



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